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自分を出せない人とLINEの取消回数の深い関係

  • 2月27日
  • 読了時間: 5分

更新日:1 日前



他者から望まれる役割だけをやっていると、当然、周囲の受けはいい。



自分の意向と他者の意向がぶつかることがないから。



そこに揉め事は発生しない。



一見、うまくいっているように見えるだろう。





波風が立っていない状態が当たり前になると、それが乱れることへの怖れを強める。



誰かとぶつかることのないよう、さらに自分の意見を出さなくなる。



いわゆるこれが、「言いたいことが言えない」状態である。



この状態が続くと、何が言いたいことだったのかがわからなくなる。



そして、それは、「何がしたいかわからない」ことに向き合うことになる。



やりたいと思って始めたことも続かなくなる。



なぜなら、やりたいことと、本当にやりたいことが違うからだ。



「何がしたいのかわからない」ことが目的にすり替わるため、当然である。



ここがややこしくて理解できない人が多いのも当然。



そのため、手段の目的化は、自分一人で解決するのが困難だと言われる。




言いたいことが言えない→


言いたいことがわからない→


やりたいことがわからない→


本当にやりたいことを間違う



大雑把に言うと、こんな感じだ。



結局、やりたいことが本当にやりたいことだと信じ込む。



そして、何かを始める自分を疑う余地すらなく、「これが私が求めていたものだ」と信じる。



手段の目的化に気づけるはずもなく...。



そして、失うのは、信頼とお金というパターンが非常に多い。



では、手段の目的化に気づかないまま行き着く先はどこか?



それは、例外ゼロと言っても過言ではないコトが起きてわかる。



東洋で言う「陰陽」の考え方だが、自分を出せないときの末路はだいたい似ている。



彼らは、抑えることで偽りの平和を保つため、高い確率で病気になる。



言ってみれば、理解力のあるフリをしている人の奥は、いつも苦しい。



大病というより、ずっと持ち続ける持病のほうが、彼らには都合がいい。



なぜなら、持病という「断る理由」を持ち続けることができるからだ。



持病など、慢性的なものと長く付き合うこと。



それは、イコール、何かを中止する「正当な理由」を持ち続ける最大のメリットとなる。



彼らのことをアドラーはこう言う。



人は人生の敗北を避けるために、あらゆるものを利用する。
自分でも気づかないうちに病気を作り出すことがある。



健康の敵は、ストレス。



ストレスの敵は、自分を出せないことで偽りの平和を保つ自分。



特に、LINEの取消が多い行為は、自分を出せないからそうしてしまう。



一度書いて送信したものを、既読される前に取り消す回数が多いのだ。



自分ではなく、本当の自分が、そうさせてしまう。



彼らは、普段から訂正や失念、読み飛ばし、見逃し、放置することも多い。



本音を言ってるつもりでも、本音の本音があるからこういったことが増える。



自分が思う自分、人が思う自分、持って生まれた自分。



この3人の自分がバラバラのため、その時の気分でしか生きれなくなっている。



だから、気分やモチベーションが安定しない。



やりだしたものをやめる、送信したLINEを取り消す、ブレる。



やりたいことがわからないから、気が向かないとできない。



ただ、こういった行為は、二次利得に持病をもつ本人がするとは限らない。



例えば、親子や夫婦など、つながりが強い関係で、片方がもう片方を投影している場合。



Aさんに持病があるとき、Aさんを投影するBさんがいる。



すると、Bさんは自分の何かをやめる理由を、Aさんの持病にすることがある。



すると、Bさんに失念や取り消しが増える。



それでも中止できないとき、Bさんは自分をも病気にして「中止」を達成する。



それは、Aさんの「言いたいことがわからない」という欠乏感を投影しているためである。



投影は、合せ鏡(長所が似る)ではなく、映し鏡(短所が似る)の関係のことである。



人間は、長所と短所を持っている。



だから、どちらもフォローしあえる関係を「似た者同士」という。



しかし、投影は、お互いの苦手なことや得意なことをフォローしあえていない。



つまり、補い合う関係になっていない。



逆を言えば、どちらかの犠牲によって、周囲は「幸せ」なのである。



心理学では、投影をシャドーといい、親子であれば、同性の親を子どもが投影する。



父親なら息子が、母親なら娘が、親の悪い面を映す。



子どもは往々にして問題を起こして大人になっていく。



やんちゃも、反抗期もして成長していく。



その子どもの問題こそ、自分の見たくない自分を子どもを通して見ているということである。



我が子の尻拭いをしているように見えて、実は、自分のケツを拭いているのである。



それを「映し鏡」、つまり、投影(シャドー)という。



逆に、相手に勝つことが目的の人は、言いたいことを隠すために「怒り」をぶつける。



物事は表裏一体のため、理解力のある人に見える人も、怒る人も「自分を隠す」という目的は同じ。



「怒り」は、本音を隠すための第二感情と言われ、自分を隠すために人は怒る。



この場合は、手段の目的化の目的化になる。



一周回って「手段」には戻らない。



手段の目的化の目的化の目的化の...と問題が山積みされるのが、手段の目的化の特徴である。



こうなると、もう一人で解決するのは不可能になってしまう。



近くに当てはまる人がいたら、Aさんを現場から離してあげよう。



そうすることで、できない理由を失ったBさんが自立できるようにもなる。



一人で立ち、一人で決め、一人で覚悟し、一人で責任を負えるようになる。



持病の本人は、とても苦しんでいる。



本気で持病を治したいと思っている。



持病を理由にしたくないとすら思っている。



愛情が深いゆえに、誰かのエゴの犠牲になっている。



十分、休ませてあげてほしい。



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