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真実とは、嘘も本当も関係なく、そう決めつける自分の信じているものをいう

  • 執筆者の写真: 山本 真弓
    山本 真弓
  • 6 日前
  • 読了時間: 9分

更新日:2 日前


目次

  1. 違和感

    1-1. 好きなものと信じるものが整合しないなら成功しない

    1-2. アインシュタインが娘に宛てた手紙は作者不詳だった

  2. それがたとえ嘘でも信じたいのはなぜ?

    2-1. 真実とは、嘘も本当も関係なく、そう決めつける自分の信じているものをいう

  3. 参考文献




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違和感


好きなものと信じるものが整合しないなら成功しない



「エビデンスがないものは信じない」という価値観を持つある女性が、宇多田ヒカルさんの『Electricity』が好きだと言った時のことです。



私は彼女を見ながら、「人間は矛盾の中に漂い、何かが違うと思いながら、その何かがわからなくて、そのうちわからないことすら忘れていく」と言った人の言葉がリフレインしていました。



その「何か」は、見えない小骨となり、奥歯や喉の奥に刺さり続け、そのうち何となく息苦しくなって、徐々に真綿で首を絞められたような、病気とは言えない不調となって出てくるんだろうと思いました。



なぜなら、その不調は、言葉にできない違和感が見える化した状態で、「奥歯に物が挟まった言い方」などの慣用句にも実存するからです。



『Electricity』は、伊藤忠商事のブランドCMでも有名ですが、特に、2:30付近に出てくる歌詞には「エビデンスがないものは信じない」人に向けたメッセージがあります。





解明できないものを恐れたり

ハマる、陰謀論に

そんな人類みんなに

アインシュタインが娘に宛てた手紙

読んでほしい

愛は光 愛は僕らの真髄



CMも宇多田ヒカルさん自身が主演を務め、見えるはずのない“地球”の様子を(望遠鏡で)覗く様子が描かれています。



だから、私は、歌詞の内容と自分の価値観がズレていることに(彼女自身)気づいていないかも?...と思ったんです。



自分の好きなものと、自分の信じるもの(価値観)が整合しないなら、いつも成功しない。


それが「必然」というものですから。



そのため、『Electricity』のどの部分が一番好きか聞いてみました。


すると、アインシュタインが娘に宛てた手紙~の行(くだり)だと...。


「やっぱり」と思った私は、間髪開けずにこう聞きました。




アインシュタインが娘に宛てた手紙は、アインシュタインが書いたものじゃないとしたら?


つまり、嘘だとしたら?




彼女は、一瞬驚きましたが、「騙されたと思うと悲しい」と言いました。


矢継ぎ早に私は、「誰に騙されたと思う?」と聞いてみました。


すると、「最初に言った人と、それを信じて広めた人たち」だと。



「じゃ、宇多田ヒカルさんにも、そして、自分自身にも騙されたと思う?」と聞いた時、彼女は、『あっ』と驚いた様子で目が "パッ" と開いたので、私は矛盾に気づいたと確信しました。



それを信じて広めた人たちの中に、当然、自分も入るわけですから、自分が自分に騙されていたことに気づけたと言っていいでしょう。



その彼女の気づきが、「あっ」という声と、目の変化で見える化したということです。




アインシュタインが娘に宛てた手紙は作者不詳だった



実際、アインシュタインが娘のリーゼルに宛てた手紙は、1400通あると言われ、アインシュタインの死後20年は非公開とする遺書のようなものがあり、リーゼルは、彼の死後20年待ってヘブライ大学に寄贈したという情報がネットに氾濫しています。



事実、今も多くの人が「E=mc2」が記された手紙をSNSなどに転記、拡散されています。


しかし、次の6つの事実においてその情報は、証憑がないと言わざるを得なくなりました。



① アインシュタイン直筆による全ての文学的権利は1950年、アインシュタインの意志により、1991年からエルサレムのヘブライ大学・アルバート・アインシュタインアーカイブ学芸員事務所が著作権を有するとあり、アインシュタイン自身による意志で同大学に権利を託したことが確認できる。




② 2003年5月22日、テクノロジー情報誌・WIREDに「アインシュタインが所有していた文書は、彼自身の遺言に従ってヘブライ大学に寄贈された」とある。



アインシュタインについて記されたウィキペディアは、検証可能な文献や出典が不十分だと注意喚起している。



④ 同ウィキペディア・注釈15において、リーゼルが行方不明である証憑がない。



⑤ 同注釈15において、同手紙は、スペインのフィクション小説「La ultima respuesta」の一節とあるが、中古、新品とも小説自体確認できない。



⑥ 2015年7月11日、「プラサードから送られてきた、アインシュタインの秘められた手紙」と題したブログでは、スピリチュアル事業者のイベントで来日した「プラサード」という人物が、当該する手紙を持っているかのように読める内容が記されている。



しかし、リーゼルとの関係性が不記載、かつ、アインシュタインの死後20年後が1980年末とあり、彼が死亡した1955年と一致しない。



海外サイトではさらに多くの似た記事が2014年頃から拡散されており、情報源が特定できないまま、1400通や、死後20年は非公開とするなど、自己解釈や集客といった自己都合目的の脚色で拡大した可能性が否めない。


以上の事実から、ヘブライ大学および、WIRED誌の情報は、証憑の蓋然性が高く、アインシュタインが娘のリーゼルに宛てた手紙は作者不詳だったと言うのが妥当である。




それがたとえ嘘でも信じたいのはなぜ?



私は、彼女にこう伝えました。


例えば、今の日本は、2700年以上続く皇統国だけど、そもそも天皇は、日本書紀にある作り話の登場人物。


その作り話の登場人物が、今の世界において「世界一偉い人」だと言われているのを疑問に思ったことはないですか?



日本の天皇陛下が世界一偉いと認められているのは、全世界の中で、最高の権威者が、現存する世界最古の国・日本の天皇陛下しかいないからです。


そのため、どの国王も大統領も、日本の天皇陛下を世界最高権威者として認めています。



例えば、「ふしぎの国のアリス」が嘘でも信じたいのは、アリスを見ていると、新しい自分に出会う旅がしたくなったり、社会の不条理や、権力に屈しない自分の作り方がわかったりするから。



例えば、「ブレーメンの音楽隊」が嘘でも信じたいのは、自分一人では幸せになれない、人の協力なしに成功しない、共存することの重要性に気づけ、大きくなることよりも、小さいまま強くなる方法がわかって、困難は目の前にチャンスが来ている証拠だと納得できて、今まで避けてきたことに挑戦する勇気がもらえるから。



【プログラミング】 現実とは、自分を支配する思想が信じている事を脳に記憶させた結果である。嘘や本当は関係なく。
【思考プログラミング】 真実とは、自分を支配する思想が信じている事を脳に記憶させた結果で真偽は関係ない。


例えば、「ピーターラビット」が嘘でも信じたいのは、子どもの頃にわからなかった「行動には責任が伴う」ことだったり、自由とは自分勝手にすることではないことだったり、うさぎという擬人化を通して見る、葛藤を乗り越えるプロセスは、これまでもこれからも変わらない不変的な学びだったと腑に落ちるから。



例えば、二次創作の「シンデレラ」が嘘でも信じたいのは、和名が「灰かぶり姫」であり、元情報のグリム童話のシンデレラは復讐劇だからじゃないかしら?




結局、人が嘘でも信じたいのは、真実を知ることよりも、「嘘でも信じたいものが、自分の信じたいこと」だからじゃないかしら?



なぜなら、シンデレラを信じる自分は、灰かぶり姫という真実を知るのが恐いから。




真実とは、嘘も本当も関係なく、そう決めつける自分の信じているものをいう



愛されることを求めながら、愛されることが恐いと(無意識が)思っているなら、愛されないことが真実でしょう。



それは、愛される自信がないと思っているから?


もしくは、いつか愛されなくなると思っているから?


いえ、人の数だけ恐い理由はあるのだと思います。



幸せになるのが恐いと思っている自分が信じているものは、「不幸な私」でしょうね。


愛されるのが恐いと思っている自分が信じているものは、「嫌われる私」でしょうね。


恐れる理由が人の数だけあっても、結果は似たようなクラスターができるのですから。



エビデンスのないものは信じないあなたが信じているものが絶望なら、アインシュタインが娘のリーゼに宛てた手紙は嘘だという事実でしょうから、私が話した通り、手紙は嘘です。





そして、嘘の手紙と宇多田ヒカルさんの歌に絶望するのは、あなた自身です。



逆に、あなたが希望を信じているなら、アインシュタインが娘のリーゼに宛てた手紙は、日本書紀や童話と同じように、パンドラの箱は開けないことです。



パンドラの箱を開けてしまうから、「絶望」に化けるのだから。



だから、嘘とか本当とかどうでもいい。



それを信じる(信じない)自分は何を信じているのか?』、一番重要なんです。



『そう決めつける自分は何を信じているのか?』が、自分の結果を決定しているということです。



真実とは、嘘も本当も関係なく、そう決めつける自分の信じているものをいうなら嘘でもいいのです。



" 結果は始める前から見えている "と言われるのも、「自分の信じていることしか実現しない」から。





日本が好きだったアインシュタイン
モーツァルトを愛し、日本の仏教を科学的思考と評価したアインシュタインは日本が好きだったそう /[画像出典] Wikipedia


サンタクロースがいてもいなくても、「希望」を信じたらいいじゃない?


いないことが寂しいのではなく、いないと思うことが寂しいのだから。



そうすれば、常にエビデンスに怯えずに済む。

無添加製品の原料が無添加であるかどうかは記載しなくていいから。

たとえ1滴でも入っていたら、「ヒアルロン酸」と記載できるから。

春の次に冬が来ないエビデンスは、自然現象でしかないから。



相手が自分を愛しているかなんて、言葉や行為、モノで証拠は見えない。

だけど、あなたが窮地の時、去っていく人は、あなたを愛しているとは言えない。

結局、いつも結果がエビデンス。



私たちは信じていることしか現実にならないし、現実を実現するのは自分しかいない。


それこそが、「それがたとえ嘘でも信じたいのはなぜか?」における全てに共通する答えです。




参考文献





学びの多い情報を掲載いただいた元記事に心より感謝申し上げます。





フォルトゥナ川崎 マーケティング事業部





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