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ブランドストーリー~胡散くさい美容室が26年愛されるキセキ~

  • 執筆者の写真: 山本 真弓
    山本 真弓
  • 5月25日
  • 読了時間: 11分

更新日:2 日前



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序章

胡散くさくなった理由


私の店が胡散くさいと言われるようになったのは、ここ11年くらいの話です。

それまでは、どこにでもある、地元に根ざした、ごくありきたりの小さな美容室でした。


しかし、今から11年前、ヘアサロンから非言語の業界へ向きを変え、「切らないヘアカット」を商品にしたことが、そもそも胡散くさいと言われるようになった発端です。


なぜなら、非言語は見えない。


ある日、エレベーターに乗ろうとする私の斜め背後から、ランドセルを背負った子が歩いてきました。私がボタンを押して待っていると、その子は私と目が合った後、隣の階段を登っていきました。


要するに、この3次元で「見えないもの」は、不安や危険を覚えながら、ファンタジー的なものに惹かれるという矛盾した世界ということです。


ウルトラマンに憧れても、ウルトラマンにはなれないのですね。


ですから、逆にもし、私がこの子でも階段を選んだかもしれない。

なぜなら、この子に限らず、私という人間が危険ではない証拠は見えないからです。


その時、普段、電車に乗らない私は、電車の吊り輪を両手でつかむ男性の気持ちがわかりました。

両手を上げれば、危険でないことは一目瞭然ですからね。


電車の吊り輪を両手でつかむ男性の気持ち

突き詰めれば、確かにあるのに見えないものはどうすれば見えるか?という課題に取り組まなければ、自分という人間は伝わらなかったのです。


非言語におけるエビデンスは、理論ではなく、言葉にできないものを見た時の相手のリアクションそのものです。


私が乗るエレベーターを避けた子供も、電車の吊り輪を両手でつかむ男性も、見えないものを恐れ、エビデンスを求めた行動だったのです。


リアクションという反応こそ、理論をも凌駕する、人を動かすエビデンスでしょう。



上向き矢印

あるのに見えないものは見える


小田和正さんの歌詞を借りれば、『言葉にできない』

GReeeeN「キセキ」の歌詞を借りても、『言葉にできない』


どちらも同じ『言葉にできない』ことは、聴く人の数だけ違うストーリーがあり、伝える相手が変われば、伝わり方も違います。


そして、伝わった後の相手のリアクションが、非言語における見えないものの正体です。


ある商業施設で、ストリートピアノを聴く夫婦は、「栄光の架橋」のBメロで、奥さんの目からポロポロ、涙がこぼれてきました。



この涙と、小田和正さんの『言葉にできない』という歌詞は、登場人物が似ているように思いました。


人からは何があったかは見えませんが、音がその人の記憶を刺激したから涙が流れたのでしょう。


ピアノから流れる音が、見えないもの。

主婦の涙が、見えないものの正体。

だから、見えないものは見えるのです。


しかし、非言語における見えないものの正体は、人間の数だけあるので、理論武装のエビデンスをもちません。


事実、私は、WBCのハイライト動画と、背景曲のGReeeeNの「キセキ」が、自身のある経験と三つ巴に重なり、『言葉にできない何か』が涙になりました。


「栄光の架橋」のメロディーに感動しながらも、涙は出なかったのにです。

それに、私は野球をやりませんし、ルールさえよくわかりません。


しかし、負けた選手がロッカールームでグローブを投げつけ、悔し涙を流す姿は、今まで積み上げてきた実績を床に叩きつける、あの日の自分と重なりました。


今から思えば、その何かとは、「お疲れさん、ほんまによくがんばった」という労いに似ています。



今、音が個人の記憶を刺激する例をお伝えしましたが、正確に言えば、音エネルギーが、個人の「普段は忘れている大切な記憶」を刺激します。


その記憶の中にある『一番印象深いシーン』が脳で再現ドラマ化され、涙になったということです。


映画やアニメを観て、思わず感情移入し、涙腺が緩んだり、動揺したことはないでしょうか?


それは、胸熱になったり、涙がでたりすることで、自分へメッセージを送っているのです。


「大切なものはこれだよ」というコア(本質・本性・魂)からの訴えが、熱や涙なのです。


コアは、松任谷由実さんの「やさしさに包まれたなら」の歌詞で次のように表現しています。



心の奥にしまい忘れた大切な箱 ひらくときは今
目にうつる全てのことは メッセージ




その感情の熱や涙が、見えないものが見える化した状態です。


熱は、情熱や怒りが表出する時にでるエネルギー。

涙は、その熱を下げ、元の状態に戻すために出る水。

汗であれば、ほてった体の体温を下げようとしている。

冷や汗でも同じ。


泣きつくすと眠くなったり、落ち着くのは、熱が下るからですね。


そういった見えないものが見える化したものを、「愛」とか、「原動力」と呼びます。


「愛」は、熱エネルギーに変わり、身体に伝わり、動作として現れます。


愛(原動力)は、自分だけにしかないので、取り替えできないため、「魂」という人もいます。


自分だけの愛(原動力)は、視覚、聴覚、臭覚、味覚、身体感覚のどれが刺激されるかは、個人の経験が違うのでわかりませんが、統計で一番多いのが音楽を含む「音」です。


屋台ラーメンのチャルメラ、豆腐屋の笛、学校のチャイム、足音、ため息、吐息、鳥のさえずり、小川のせせらぎ、波など、歌以外の環境音なども含まれます。


ネガティブな音で言えば、黒板を爪でひっかく時の「キィー」、錆びた鉄の扉が開く時の「ギィー」、扉が開く時の「カチャ」、閉まる時の「ガチャン」、グラスが割れる時の「カチャン」・・・。


匂いで言えば、ワイシャツについたタバコ臭、夕暮れにどこからともなく漂うカレーの匂い、卵がフライパンに落ちる時の「ジュー」などのシズル感も含まれます。


ビジュアルで言えば、夕方と夜の境目のマジックアワー、太陽が沈む浜辺などは、人を現実逃避させてくれる現実ですね。


こういったビジュアルを背景に、伝えたい相手の思い入れのある曲を流し、好きでもないのに好きと言えば、詐欺ドラマは完成します。笑


また、熱や涙は、怒りも含まれるので、トラウマ(劣等感)もフラッシュバックするでしょう。


昔、思い入れのある曲をアルツハイマーの患者に聴かせ、症状が改善するまでの実話を追ったドキュメンタリー映画「パーソナル・ソング」がヒットし、話題になりました。


これも音エネルギーを使ったエネルギー療法の一種ですね。




先ほど音は見えないと言いましたが、実は、音も見る方法があります。

鉄板の上に無造作に塩を置き、その上で音を出すと、塩は規則的な模様を描きます。




その現象を「クラドニ図形」というそうです。


こうして、あるのに見えないものは、見るための手段を講じれば見えるので、この3次元で起きる現象はだいたい見える化で証明できます。



だからやっぱり、見えないものは胡散くさいので、信じないほうが身の安全だと私も思います。


当然、私が胡散くさいと言われるようになった「切らないヘアカット」も、見える化で証明できます。


結局、私が胡散くさいと言われるのは、例えば、大阪・関西万博に行かない人が、面白くないと言われるのと同じだったのです。


ですから、未体験者の怪しいという評価は、体験者のビフォアフターを公開してこなかった私の課題を浮き彫りにしてくれたのです。


どんなことも、「論より証拠」が大事だったのです。



上向き矢印

愛の証

真正エネルギー療法


いろいろな例を挙げましたが、どれも自分をそう仕向けさせる(原動力の)正体は、言葉にできない何かです。


しかし、その原動力を個人から引き出し、全身に送り届ける技能は、東洋医学が身を置く、ホリスティック分野の真正エネルギー療法として、2000年以上前から存在します。(※2)


例えば、保険適応されている鍼灸や、漢方の素材になる生薬は、真性エネルギー療法です。


※2)真正とは:正真正銘、本質 / 英語:Authentic(オーセンティック)



遠隔エネルギーワークや、手かざしなど、主観的幸福感を満たす覇道的なエネルギー療法は、他力によるものですが、真正エネルギー療法は、恒常性を自分から引き出す、自助行為です。



上向き矢印

使命


こうして私は、美容室業界に王道を広めるため、エビデンスのない真正エネルギーを論より証拠で社会に残していく使命が生まれました。


その使命を達成するために、鍼灸や整復と同じ手技の世界、ホリスティック業界にベクトルを変えました。


薬剤に頼らねば生き残れない美容室業界にメスを入れるため、あえて「迂回」を選んだのです。


そして、2014年、経絡の情報伝達機能を、美容シザーを介した手で動かし、身体と髪の『捻じれ』を正していく美容経絡サロンに成るべく、自身を改革しました。




なぜなら、髪質改善系などのやり方レベルの覇道とは一線を画し、王道を証明しなければ、真正エネルギー療法は、胡散くさいだけになり、それは2000年以上続く鍼灸や整復業界を汚す邪道を浸透させかねないからです。


栄光の架橋を聞いた主婦の涙や、悔しい思いをバネに優勝したWBCの選手たちの涙は、その人だけのエネルギーの本質であり、やり方レベルの覇道は、真正エネルギー療法にはいらないのです。


切らないヘアカット

前身と課題


切らないヘアカットの前身は、レプローストカットといいます。

現在、レプローストカット資格を有する美容師は、全国に28名いますが、私はそのうちの1人です。


しかし、レプローストカットは今、マーケティングをしていないために、持続可能な開発をする者が1人もいないという課題が、暗礁に乗り上げたままになっています。


改名と課題解決


持続可能な美の開発をする者が1人もいないということは、私が積み上げてきたマスターランクの技も後継者不足で、絶滅危惧種ということに他なりません。


その課題解決のために、私の強み「美の源を引き出す手技」を一文にしたのが、『美's DNA』です。

意守という手技で経絡上に集まった「気」は、DNAレベルまで作用するため、『美's DNA』としました。



美's DNAで体表(表面)が変化した時、同時に中では偶然の産物というシナジー(相乗)効果が起きています。


そのシナジー効果こそ、持続可能な美の開発であり、私の代名詞「セレンディピティ(思いがけない幸運)を振りまく美容師」の由縁です。


だから私は、シナジー効果をコンセプトにしました。


美's DNA, the future where true grace lasts a century.

真美が100年続く未来へ、美's DNA


私の手は、God Hand(ゴッドハンド)ではなく、「Soul Hand」(ソウルハンド)。

それは単に、耳障りのいい英語を羅列するだけのイメージアップを図るものではありません。


コンセプトは、前身のブランドに敬意を示し、一貫した持続可能な美の開発を高付加価値に置換し、お客さまと美容師に還元することを課題解決策とした私の所信表明であります。


私にとって「美's DNA」という言葉は、お客様のみならず、美容室業界に革命を起こすための、ものすごく重く、ものすごく深い意味があり、改名に至りました。



胡散くさい美容室が26年愛されるキセキ


落ちる恐怖というのは、言い方を変えれば、変化を恐れているということでもあります。


私も例外なく、常に変化を恐れています。


しかし、その恐れから逃げることは、あの日、私が一番大切にすべき長い付き合いのお客様の髪を薬剤で傷つけ、売上を上げる自分を救うことへの再演でしかありません。


だからこそ、私は、いつも保身という恐れと対峙しています。


その都度、決断してきた欠片が、胡散くさい美容室が26年愛される『キセキ』を、更新し続けてくれているのだと思います。


11年前、ベクトルを変えた時、支店展開していた2店舗を売却、スタッフも多くやめていきました。


夫婦で病気を経験した時も、美容師をやめるという選択肢はなかった。

同業者と力を合わせ、カンボジアの子どもたちに学校を建てることも続けていきたかった。


髪質改善も縮毛矯正もやめていい
髪質改善も縮毛矯正もやめられる

残ったスタッフと、私たち夫婦、たった3名で一から出直しました。


すべて、何もかも、胡散くさい技能を体験し続け、エビデンスを証明し続けてくださるお客様がいなければ成し得なかった。


そういった実績を、まだ出会っていない、これから出会うであろうお客様に非公開にすることは、私の愚の骨頂、愛の出し惜しみであり、強みは生きた化石、私は生きた屍(しかばね)にしかならない。


私の元を巣立ち、経営者になったスタッフから通年もらう周年祝のメッセージさえ、「勝って兜の緒を締めよ」と読めるのです。





なぜなら、お客さまにメンテナンスの価値を認められた私自身が、自分のメンテナンスを怠った時、この店の最終回は、悲惨な結末というのが見えるからです。


26年続いたことがすごいのではなく、26年どうやって続けてきたのか、それをどう変えていくのかという新しい「気づき」がなければ、社長失格なのです。


自転車操業で30年続いている店を見ればなおさらです。

隣の芝生はいつも青く見えるものですから...。


人に言うのは簡単、自分がそれをするのは至難。

それが人間の性なのですから...。




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