一周回って元の木阿弥
- 2月7日
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更新日:8月12日
元の木阿弥(もとのもくあみ)
積み重ねた努力が駄目になり振り出しに戻ること(by コトバンク)
らしい。
ということは、「失敗」は、"元の木阿弥"ではないということになる。
なぜなら、成功から失敗が生まれ、「失敗」から成功が生まれるから。

自分が設計したものが原因で事故が発生、同僚が亡くなった。
自分にエンジニアは向いていない。
深く絶望の淵に追いやられた人がいた。
話を聞きながら、私は、遺伝子研究を志した知人を思い出した。
その人は、遺伝子を前に「これは神の領域だ、人間が足を踏み入れてはいけない」と怖くなり、全く関係のない分野に移籍した。
一方、ノーベルは、土木作業をスピーディーに進めるために、ダイナマイトを開発した。
しかし、武器として利用され、深い絶望の淵に追いやられた。
その贖罪としてノーベル賞を設立したことは有名である。
今、あらゆるプロジェクトの平和利用を願うノーベルの思いは、世界中に伝わっている。

たとえダイナマイトが武器として使用される現実はあったとしても、ダイナマイトの平和利用を目指す人がいなくなることは、まずないはずだ。
いかなる道具であろうとも、武器として使用する人を阻止するために、平和利用をできる人の技術は不可欠である。
だから、失敗とは、次のアクションを成功させるためのデータ収集の貴重な機会である。
同じ事故を繰り返さないためにも、エンジニアとしての経験を積み重ねてほしい。
知識を行動に活かしてほしい。
私は、そう伝えるために、研究をやめた知人のことには触れなかった。
代わりに、ノーベルのダイナマイトの話をした。
行動しなかった知人には、失敗も成功もない。
それに、本当に伝えたいことは、エピソードに置き換えなければ伝わらない。
自分がやってもいない、使ってもいないものは、経験していないのと同じだからだ。
それに経験しないことは、フィクションにはなるが、エピソードにもならない。
私も、自分が使っていないものを勧める店員がたまに会う。
そのとき、私は、いつもこう聞くようにしている。
「あなたのそれは、この中のどれ?」
「あなたの付けている色は、何番?」
「あなたは、どのタイプ?」
そして、どのへんが、どれくらいで、どのくらい変わるのかを聞く。
マニュアル通りなら、フィクションである可能性が高い。
つまり、その商品の愛用者、経験者ではないのだ。
それでもいいと納得できる人は、買って損はないと思う。
私は、自分の店の商品を愛せない人から店の商品は買わない。
それよりも、店の人が使っている商品を聞いて買うかもしれない。
なぜなら、その人の表面と、未来の自分を重ねるからだ。
いずれにしても、経験していない成功談は、他人事にすぎない。
その成功談は、一周回ってその人自身に「元の木阿弥」になって戻ってる。
なぜなら、成功より失敗を語れる人のほうが誠実と言われるからだ。
ノーベルのように、本当に成功している人は、つらくて悲しい失敗がある。
それが、自分が使っていないものを売る人を見抜くポイントでもある。



