人が育たないのはなぜ?
- 1月7日
- 読了時間: 3分
更新日:1 日前
人を育てる。
そして、その人が成長して、自分から独立して離れていく。
これはこれで寂しい、かもしれない。
自分がサポートする人が、成長していって、収益もともに上げていける。
そう思っていた人が、自分から巣立っていって、活躍していく...。
この寂しさを感じるということは、サポートしている時から、その人が巣立っていかないようにと思っているのは、エゴの自分。
自分とずっといるようにという気持ちがどこかにあるからそう思うわけだから。

だからこそ、離れていったときに分離感を感じて、もしかしたら「やったったのに」という恩着せ感が出る(かもしれない)。
であれば、逆に、最初から携わるときから、この人は私から離れていく、そして、活躍していく。
そのためのプロデュースをするというコミット(意思)に切り替えてしまう。
コミットが固まると、早く巣立つために、例えば、「あの人紹介しよう」とか、「この情報を教えておこう」とか。
出し惜しみがなくなる。
つまり、はじめから「巣立つ寂しさ」を予感するのであれば、もう巣立っていくために、絶賛サポートしていく。
「そういう意味で寄り添わせてね」という理解を求めるほうが、お互い幸せなプロセスをともに歩いていけると思う。
従業員が育たないところは、だから斜陽産業が多いと言われる。

「恩返し」という言葉は、恩を受けた人に恩を返すことだが、もうひとつ、「恩送り」という言葉がある。
「恩送り」の起点は、誰かの背中を見送る自分の背中を見送った人の"恩"
つまり、「恩返し」は、二人称だから、恩は相互のやりとりになる。
かたや、「恩送り」は、三人称以上で、最大値は無限。
2人目の人は、1人目からもらった恩を、その人に返さずに、3人目に渡す。
3人目は4人目に渡して、4人目は5人目に渡して...というふうに「恩」が外へ無限に広がっていく。
また、「遺伝」は、先祖からつながっているので、恩返しではなく、「恩送り」になる。
ということは、自分の才能を人のために使えば、その才能は人から見たら長所である。
でも、自分の才能を自分のために使えば、その才能は人から見たら短所である。
なぜなら、恩を自分のために使うのは、自分のエゴだから。
このエゴは、先の「その人が巣立っていかないようにと思っている」ときのエゴと同一のものである。
逆を言えば、自分が潰れた後、従業員がどうなるかまで考えていない(考えられない)のである。
自分のことでいっぱいだから斜陽産業と言われるのだ。
この自然の法則を理解できないと、自分に恩恵があっても、受け取らなかったり、恩恵がどれかわからなかったりして、損をしてしまう。
「恩恵」というのは、突然現れるものじゃないからだ。
自分の行動が一周して戻ってくる「恩恵」は、ほしいカタチをしていない場合が多い。
そして、ブサイクなことが多い。



